ターラのブログ【TA-RA△Ⅲ&NaturalSpirit】

ナチュラルスタイルのスピリチュアルライフを送るTA-RA△Ⅲ(ターラ)のメッセージブログ https://www.tararing7.com/

私の初めての戦争体験

こんにちは、TA-RA△IIIです。

 

今日、ミディアムシップセッション、トータルセッションに

お越しくださった方を通しても

世界は大きく変わる、、、それは

三次元だけでなく、四次元も。。と

改めて思いました。

 

繰り返しと

革新。

プラスとマイナス。

分断ではない二極化していく世界。

 

特別に世界平和主義者であったわけではない

2014年の頃の私が

導かれるようにokinawaへ向かうことになり、

体験した戦争。。

 

今日、改めて思い出していました。

 

**************

 

okinawa1

2014年のブログからの抜粋になります。

 

相変わらずの拙い文章を
お許しください。
 
 

こんにちは、ターラです。

いつも、ブログを読んでくださってありがとうございます。

 

沖縄一日目、

 

比較的、間際でのアマテラス神からのメッセージでしたので、

 

飛行機が午後便しかとれませんでした。

 

夏休みですし、席が神戸空港から取れたのはラッキーだったと思います。

 

私は、どこか呑気なところがあります。

 

ターラというエネルギーになると、

あまり、動じませんし、怖いと思う感覚が比較的、人より、少ないようです。

 

沖縄へ行って、

御魂を天国へあげさせていただくということは

気持ちのどこかでは、大変だろうとは

想像していても、

今迄にターラを通して経験させていただいてきたことを考えると

怖いとか抵抗感が湧いてくることはありません。

 

それよりも行かせていただく意味があるから行くのだろう。。。という

 

きっと、守護していただけるでしょう、、という

根拠なき自信と

自分への関心が薄くなってしまいます。

 

でも、今回は、、、さすがに気持ちを引き締めなくては、、と

思うことが、

前日の夜からありました。

 

ターラの半分のスピリットが戦争の時代へワープしていることに気づきました。

 

あの時代を共有させていただき始めています。。。

 

夜、眠るのは、一瞬。

絶えず、あの時代の方達は緊張状態にあったことが伺えます。

 

まるで300年前の戦国時代にワープした時と同じ感覚です。

 

息をひそめるような、 

生きることは必死であるという余裕のない感覚と、

 

何故かしら大切な人達に

最期かもしれないから

お別れや想いを告げておかなくてはならないような。。。

死がどこかで迫っているような感覚。

きっと、かなり

戦況が悪くなった時代へワープしているのでしょう。

 

個人的なやらなくてはならない

メールの送受信や家事やナナの散歩や、日常的なことは

普通にこなしながら

白日夢をみている、、そのような感覚です。

無意識に、

大切な方にメッセージをしておりました。


内容はたわいもないことなのですが、、、想いが真剣でした。

「これで、最期になるかもしれない」


朝から右片足を地雷でしょうか? 無くした軍人さんまでいらしていますし、


喉が渇き、身体が熱い。

この感覚は。。多分、 火の関係で亡くなっている方も多いです。


そう、、、、私が想像していた以上に、 亡くなり方が悲惨な方が多いのです。

テレビなどでみると、直ぐに消してしまうような場面が

頭の中を走馬灯のような

8ミリビデオを回されているように

見えてきます。

 

どうしてだろう。。怖いとか悲しいとかない。


私は冷たいのだろうか。。。

いいえ、共有させていただくことが大切なのだと、どこか芯の部分で気づいています。

感傷的になってはだめ。自分に言います。

共有させていただきます。

そして、

安らぎの空間へ上がりましょう。。。。


泣き声が聴こえます。

泣いてください。

大丈夫。 必ず、お連れします。

安心ください。


飛行機に乗る少し前から、とても眠い、、
きっと、
浅間大社に向かうバスと同じように眠り、
違う次元に行くのでしょう。
 
シートベルトを閉めました。
滑走路を飛行機が動き出す前に眠っていました。
 
朝からの片足の軍人さん、
モンペ姿に顔に泥をつけ立ち尽くす母子。
怯え空虚な目をする人たち。
 
異臭、、焼ける臭い。
 
飛行機では、かなり辛い状況ばかりをみました。
不動明王様が現れ
私を守護しながら、でも、みていきました。
知らなくては、ならないのでしょうね。。
 
 
那覇空港を出ました。
アマテラス神が迎えてくれました。
 
車に乗りこみ、
沖縄の空を見上げます。
ひめゆりの少女たちは、飛行機でみた方達とは違い
明るく迎えてくれました。
 
夕食、、看護婦姿の優しい
あの時代の女性と
ずっと話をしていました。
 
今の風景、
洋風の魚料理とサラダにも驚き、
ハーフらしき若い男性が
サーブしてくれている姿にも
目を丸くしています。
食欲という感覚、
美味しいものが存在するという記憶も
彼女からは
伝わってきません。
そういった
「生きる」という以外の感覚は
必要なかった、、、
思い出したり求める余裕もない時代だったのです。
 
彼女が、完全に入ってしまうと
私から食欲が無くなるのはわかりましたので
 
明日から活動しなくてはならないから、
入らないで。
今は私は食べなくてはならないから、
そばでみていて、、とお願いしました。
 
彼女は察したように、
ずっと1mほど離れていてくれました。
 
 
私、、、朝から何度
笑顔で写真を、写しても
暗く悲しい顔にしか写らなかった。
 
亡き優しい看護婦さんと
ひとしきり会話してから
 
もう一枚、写真を撮ると
ちゃんと、、、笑顔の私の顔でした。
 
 
信じていただけないかもしれませんが
お伝えしなくてはならない、、と思い、
書いています。
 
 
okinawaに来た意味。
 
知らなくてはならないし、
共有させていただいて、
近づいて、ちゃんと向き合って
天国へ、
お一人でも多く還っていただきたい、、
 
部屋に戻ると、
また眠っていました。
 
ただ、本当に眠っていました。
 
愛と感謝をこめて
ターラ
 
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okinawaへの旅は
このあと2016年まで続きます。
次のブログ 「okinawa2」にある体験は、
私の中に強い芯を宿してくれたからです。
 
 
愛と感謝をこめて
TA-RA△III